こんばんは。
とーーーーーーーーーーってもお久しぶりになってしまいました。
前回のこの日記で書いていた、わたしの大切なこさめのことでご報告があります。
地元の先生に診てもらってから、やはりきぬさやもお世話になった先生のもとへとこさめを連れて行きました。
ひと月もたたないうちに右の副腎が5倍近くも大きくなっていること。
これは過形成ではなく、腺腫もしくはガンという診断であったことを伝えました。
先生もやはり同じ見解で、腫瘍の組織が後大静脈を巻き込んでいる可能性があり、その場合は難しいと。
でも手術で取らなければどんどん大きくなっていく可能性が大きい。
右の副腎を取っても左が今度はどうなるか・・・ということでした。
6月上旬、ほぼひと月後の7月2日に手術の予定を入れてもらって、元気に過ごしていたけれど、手術の数日前にはなんとなく貧血っぽくて以前きぬさやが飲んでいた鉄剤サプリを飲ませていました。
当日の術前検査で、手術ができないと判断されたら、何もせずゆっくり穏やかな日々を過ごさせてあげようという決心をしていました。
食欲もあるし元気だし、おなかは大きくなってるけどこさめは大丈夫!!
って信じて手術当日を迎えました。
当日は6時以降絶飲食だったので、朝出発まえにダイスキなウォルサムをあげたけどなぜかすすまず・・・
おかしいな・・・と思いつつも、
「お留守番のぽんちゃんにあいさつしてこか」
と二人をくっつけたら、こさめがぽんずに向かって軽く噛んだのです。
他の子にはきついこさめだったけど、ぽんずには優しいお姉ちゃんで、怒ったりしなかったのに・・・
変だなと思いつつも出発しました。
お姉ちゃんに同伴してもらっての道のりでしたが、この日は眠いしなんだかまっすぐ病院に行きたくなくてうだうだと寄り道して進みました。
病院について、術前検査をしてレントゲンをみてみたら、
先生「食べ物が消化されていません」
はるさめ「えっ・・・でも朝は固形物は食べてませんけど」
先生「腫瘍が大きくなって他の臓器を押し上げているせいで、胃を圧迫して食べ物の通過を妨げているんでしょう」
だって・・・
だからウォルサム飲みが悪かったんだ・・・
それでも先生はこの手術は難しいかもしれないけど、自分としては失敗例はゼロではないけれども限りなく少ないし、リスクもあるけど大丈夫だと思う、ということでこさめを預けました。
なんとなくもっと
「がんばってきてね!!」
って別れを惜しみたかったけど、病院側にも悪いしと思ってなんだかあっさり引き渡しました。
生きたこさめと会ったのは、それで最後でした。
術前検査後、結果待ちの時間。
生きたこさめを写した最後の写真です。
やっぱり手術なんかしたくなかったのかなぁ。
ユーウツそうというか、なんとも言えない表情をしてます。
こさめを預けて、病院を後にした私と姉はやたらと寄り道をして、いつもならすぐに高速に乗って帰るのにスーパーの駐車場でファストフードを食べてみたり、スーパーで買い物をしたり、高速に乗ったら乗ったで、私にモーレツな睡魔が襲ってきて、とても運転できず、SAで仮眠をとっては進み、また眠くなっては仮眠をし、最終的に姉に運転を変わってもらうほどでした。
異常なまでの眠気に、おかしいなと思いながら・・・
しばらく走っていると沼津あたりで病院から電話がかかってきました。
手術が終わったら連絡します、という先生の言葉があったので、手術が終わったんだなと思って電話に出ました。
でも私に浴びせられた言葉は、
「無事に手術が終わりました」
という待っていた言葉ではなく、
「手術の最後に急に容体が悪くなり、こさめちゃんは亡くなりました」
というまったく予想外の、言葉でした。
一気に目の前が真っ白になって、真っ暗になって、とりあえず病院まで急ぎました。
姉に運転を無理やり変わってもらって、泣きながら朝走った道を行きました。
病院に着いて、先生からの説明があったあと、こさめと対面しました。
手術は順調で、あとはおなかを閉めるだけという段階で心電図に異常波形が出現、みるみる間に心停止して、蘇生をおこないましたが戻ってこず、麻酔で眠ったまま亡くなった、ということです。
右副腎腫瘍の組織が後大静脈内まで及んでいて、血管内の組織まで取り除いて血管をしごいて・・・とまでやったけれど、たぶんその組織片が血流再開時に心臓もしくは脳に飛んで血栓症を起こしたのでしょう、と。
腫瘍は副腎の腺ガンの診断でほぼ間違いなく、発見時には25mm大だったものがひと月たたずしてエコー上では30mm、レントゲン上の実寸では41mmにまで巨大化していました。
ガン組織は水分に富んだ分裂や増殖をどんどんしていく良くないもの。手術をしなくても腫瘍により寸断された後大静脈内から血栓が飛んで突然死の可能性は大いにあったし、このスピードでの巨大化によりどれくらい生き延びられたか?手術が無事終わっていたとしても血栓が飛んだことにより夜や退院後に突然死していたということもある・・・。
かなり腹部のむくみもひどかったし・・・と。
どの選択が最善だったのか?
『必ず生きていられる』という選択肢はなかったように思う。
でもあと数日、数週間、数か月は一緒に暮せたかもしれない。
それでも果たして私の腕の中で最期を迎えられただろうか。
仕事や遊びから帰ってきたら・・・みたいな可能性は十分あった。
病気と戦い抜いたあと、私の腕の中で最期を迎えるのがいちばん理想だけれど、今回はすぐ(でもないけど)迎えに行けて、まだ良かったのかもしれない。
長い間苦しい、痛い思いを抱えてから死ぬのではなく、麻酔下で眠ったまま逝けたのは幸せだったのかもしれない。
「あんなに眠かったのは、こさめが早く迎えに来てほしくて引きとめてたのかもしれないね」
って後から姉が言っていました。
そういえばちょうどそんな時間帯だったかもしれません。
後悔は死んでも死にきれないほどあるし、できるなら後を追ってこさめと一緒に逝きたい。
手術についての疑問だってあるし先生を問い詰めたい気持ちだってゼロじゃない。
・・・けど、それをしたところで誰が喜ぶか?
後を追ったらこさめは喜んでくれる?
ぽんずを残してきたことを怒るんじゃないかな・・・
先生を責めたところでこさめは喜んでくれる?
先生だって精いっぱいやってくれたし、このことでかなり傷ついたと思う。
彼はフェレットの名医であるし、努力も惜しまず自分の体を削ってでも診察や手術をしていると思う。
というのは自分自身に対して言い聞かせているだけなのかもしれないけど・・・
49日が過ぎて、やっと少しだけ現実を受け入れられるようになってきました。
こさめのいない生活は、私にとってもぽんずにとっても大ダメージで、ぽんずはちょっとボケちゃった感があります。
まだ1歳半なのに。
よっぽどさみしいんだなって。
こさめと一緒に暮らすことになったのは、本当に偶然で、インコを飼おうと見に来ていた親子が
「フェレットだって!かわいい!!インコじゃなくてこれにしようよ、お母さん!!!」
「あら、ほんとね。そうしちゃおうか!」
っていうやりとりを聞いて、後先考える暇もなく店員さんに
「あの子くださいっ!!」
って駆け寄っていったのがはじまりでした。
なつかしいなぁ。
最期のお別れに、体をきれいに拭いて、きちんと耳掃除もしました。
いつか再会したときに、ちゃんと私の声が聞こえるように。
きぬさややぽんずに比べたらじゃけんに扱ってたけど、ホントはとってもとってもとってもとっても、こさめのことが大切で、かわいくて愛おしくってたまりませんでした。
もう一回、会いたいです。
あのふわふわのやわらかい毛を逆立てて、戻して、逆立てて、戻して・・・ってしたい。
つやつやで真っ黒な腕をなでなでしたいです。
はやく生まれ変わって、はやくわたしに会いに来て。
だいすきなこさめへ。
※こさめが亡くなったことを、ごくごくわずかな方にしか伝えていませんでした。
心配してくださった方もいらっしゃったのに、そのまま放置ですみませんでした。
自分の中で、本当に今日まで消化できていない気持ちでした。
いまでも思い出せば胸が苦しくなって息ができなくなるくらい苦しむこともあります。
優しい言葉ときれいなお花をくださったちまさんや、まっぴーさん、本当にありがとうございました。
とっても救われました。
本当にいつもありがとうございます。
この日記も、ぼちぼちできたらなーって思います。
ぽんずのアホすぎる毎日でも書き記していきたいです。
長いのにここまで読んでくださった方々に感謝します。
ありがとうございました。