変わらないと思っていた射した光が
、微かに変化する。
恵みの灯りだと錯覚しそうで、
もし戸惑って真に受けたら疲れそうで怖い。
あるいは、その錯覚の餌食になるのかも。
その思いを消して、隠して、心開いて・・・
そうそう思い通りに行かない。
ただ繋げているだけなら、時が過ぎる理由にならない。
ただ儚いものなってしまう。
忘れられたように、ふと消えてから蘇るのも
厭なことじゃない。
プライベートではペットとの時間を大切にすることで、
気分転換を図る。
それでも社会人はビジネスをしていかないと、
食べていけない運命を大概の人が背負っている。
気が付いたら、
その闇から本当の光になっているような
期待をしてしまう。
いつものように繰り返す冬眠と愁眠で尽きていく。
身から遠く離れていく間に被さる影で暗くなる。
伝えられるもの何とか伝えておこうと、
その無駄な無意味な行為を浅く薄く考える。
ただ、そう考えたいのが好きなだけ。
こんなにも疲れるのは、
ビジネスとの関連性も
あるのだろう。
どこでも年末となれば社会人ともなれば、動物同様の
冬眠は簡単にいかない。
忘れられた時間ばかりを振り返る始末。
決して甦らない過去を数秒ごとに捨てる行為。
経営の悪化などでこの年の瀬に
事業融資を受けるか
検討するオーナーもいるとの噂もあるが、
そんなこと聞いちゃっても、使われている側は
どうとも云えない立場である。
音を立ててくれる崩壊なら事前な対処も可能性として
出来るとして、聞こえないものならそうなる時に、
いきなり出くわすしかない。